『サヨナライツカ』

映画化されるのを知って気になり、読んでみた。

死ぬときに、愛されたことを思い出すか。
それとも愛したことを思い出すか。
こんなことを考えたことはなかった。
本書では、この問いが何度か繰り返される。


主人公・豊は、婚約者・光子という女性がいながら、沓子という魅力的な女性と、深みのある恋愛状態へはまっていく。
二人の仲が発覚し、周囲から白い目で見られようとも、その愛を貫こうとする。
それでも最終的には、当初の通り、結婚を選択するのだけれど。


豊と沓子は「期間限定」の中、毎日のように身体を重ねる。
しまいには、必死感すら漂ってくるくらいに。
愛し合う行為から生じる、物悲しい感覚。
そうなってしまうのは、二人に残された日々を両者が冷静に受け止めつつも、揺れ動く感情を抑え切れないからだと思う。


最初、沓子は「愛されたことを思い出すわ」と豊に答えていた。
それが、最終的には逆の考え方へ転換していた。


私も考えてみた。
本物の愛には、まだ辿り着いていないけれど…。
「好き」という恋愛ごっこしかしてこなかった。
それでも、真剣にそして主体的に、相手を好きでいた経験の方が、ずっと記憶に残っていて、忘れられない。
そして、その恋愛は充実していたはず。
『愛されるよりも愛したい』という歌があるけれど、正しいかな、と今は思う。