『火の粉』

親しく交流していたはずの一家三人を、金属バットで殴り殺したとして起訴された男が、証拠不十分で無罪判決を下される。
「刑事裁判の有罪率99.9%」の例外となったのだった。


判決を下した裁判官は引退し、引っ越した。
その後、偶然のように男が裁判官の家の隣に引っ越して来る。
そして、当然のごとく「隣人」となる。


「隣近所」とは、どういう関係だろうか。
つかず離れず、深入りしない間柄―そんなイメージしかない。
私が18年間過ごしてきた地元は、地方とはいっても、昔の農村のような古い性質はなかった。
適度な“間”を持って接する。
それが、現代版「隣人」の普通の姿だと思う。


ところが、男は異常なほど、隣の家へ侵入してくる。
物理的にも精神的にも。
異様なほど尽くし、それが拒絶されると逆上する。
そして、自傷行為に到り、最終的には殺人へと進んでしまう。
男の生い立ちが、おそろしく悲劇に満ちたものであっても、何人もの人を殺めるまでになってはいけないはずなのに。


ラストが衝撃的だ。
「過ち」を犯してしまった、と過去を後悔した裁判官の人生の結末、いや通過点は、昔を振り返ることにより、どう変化してしまうのか。


過去は必ず現在へとつながっている。
自らがした行動の意味は、未来へと1本の線となる。