『冷静と情熱のあいだ(Blu)』

始めの方に「昨日にそっくりな一日でした」という文章が出てくる。
どんなに逆立ちしようとも、昨日に戻ることはできない。
拡大すると、過去に戻ることはできない、やり直すことはできない、という意味。
今のところ―いつかできるようになるかも知れない―、とても当然のことなのだけれど、不思議な響きの言葉。


芽実が順正に向かって声を荒げる場面がある。
私は誰かの代用品なんてなれない、と。
彼女が出て行った後「ずっと彼女はシルエットだったのだろうか」と順正はぼんやりと考えるのだった。


実際のところ、誰かが誰かの代用品となっていることは、よくある話だと思う。
本人が気付いている場合も、そうでない場合もある。
どうしても忘れられない人がいて、心はその人を求めているのだけれど、身体はどうしようもならなくて。
仕方なくて、他の誰かで自分の欲を補おうとする。


「誰かの代わりでもいいの」と思ってすがり付きたくなることだってある。
それほどまでになってしまうとき、相手には鬱陶しいと感じられている可能性が高い。
だけど、表面的にというだけでも自分を必要としてくれている人の前から、自分を消したくなくなってしまう。
存在を肯定されているように見えると、そこにとどまりたくなるのだ。


この小説は、過去へと焦点が向いた男の話。
私は「真に情熱的な恋愛」をしたことがないのだけれど、戻れもしない時間、記憶へ思いを馳せて、泣いたり動揺したりする彼の気持ちが、とてもわかる。
相手と“共有”していた輝かしく、そして愉しかった思い出は、頭から離れようとしないから。