『書いて生きていく プロ文章論』

フリーライターの仕事をできるようになったのを機に、知人から教えてもらった本書を読んでみた。
著者は、その道の権威ともいうべきプロたちを取材した本で有名な『プロ論』の上坂徹氏。


「上手い文章の書き方」などではなく、「分かりやすい文章」、「伝わりやすい文章」がいかに大事かについて書かれている。
そのような、読み手のことを徹底的に考えて書かれる文章は、どうすれば生まれるのか。


・読み手がどんな人たちなのか考える(ターゲット分析)
・読み手が何を求めているか考える(需要)
・「相場感」を常に持つ(バランスとか)


このような心がけが大事だ、と強く説いてある。
「ひとりよがり」なことは、どんな場合であっても良くはないということ。


また、インタビューする際に必ずしておくべきことに関しても、かなりページを割いてある。
「人への取材」を何百、何千とこなしてきた著者だからこそ、重みのある内容となっている。
とても基本的なことだけれど、意識していない人が多いであろう「相手に時間をいただいていること」を念頭において、私も取材をしていかなくてはと身が引き締まった。

『阪急電車』

【送料無料】阪急電車

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価格:560円(税込、送料別)

映画を観に行ったことで知った本書。
映像を先に見ていたせいか、そして原作に比較的忠実に映画が作られているせいか、2つを重ね合わせていくうちに、するりするりと読める。


舞台は阪急電車
そこを利用する、お互いに名も知らない人間同士のあたたかい、偶然のやり取りを描いている。


知らない人に注意されたことはあるだろうか。
行きずりの人と話してハッとして何かを気付かされたことはあるだろうか。
「無関係」、「今後二度と関わらないかも知れない」からこそ言えることだったり、空気を作れることだったり、というのはややある。


意図しない出会いを経験したことはあるだろうか。
「ドラマみたい」というコメントは承知だけれど、それがこのストーリーの中にはあるわけだ。
そんなことは、リアル世界に転がっていないわけでもない。
人と人は、出会うべくして出会うもの。


ほっこりできて、泣きそうになり、笑ってしまい、最後はふわっとした気持ちで締めてくれる、とてもやさしい小説。

『私の名前は高城剛。住所不定、職業不明。』

高城さんの本は『オーガニック革命』以外、ほとんど読んでいる。
考え方がおもしろいし、常に先のことを見過ぎているあたりが、個人的に好き。
どんなに叩かれていても、彼を見ているときらいにはならず、興味深くなるほど。


本書はなんと、マガジンハウスの超有名編集者・テツオさん(林真理子氏の『美女入門』にたびたび登場する人としても名はしれている)が高城さんに話を2年間持ちかけ続け、ようやく実現した本だそう。
それで注目。


中身は、144個ものQ&Aでできている。
「なぜ定住しないか」から「仕事を選ぶ基準」、「自由とは何か」に至るまで、様々な幅広い質問だらけである。
インタビュー取材するときに使えるのではないか、というユニークな感じの内容が多い。
「興味のある人へ質問している時間が好き」という私のような人間にとっては、嬉しくなってしまう本。


高城さんは、常に変化をし続けることが大事だ、何の変哲もない退屈な日常より、エキサイティングで何が起こるか予想もつかない日々の方が何倍も愉しい、と前々から言っていて、それは本書においてもブレていない。
「あえて情報を遮断する」ということも。
ただ、それだけ情報をシャットダウンしていて、どうして最新的なことを考えられるのですか、とつっこみたくなることもあるけれど(笑)。


「自分のことを皆意外と分かっていない」と高城さんは語る。
自分と向き合って自身の内側の声を聞く、ということができていない現代人が多いと。
そんな余裕などないのだろうか。
機会を設けて、自省してみることは大事。
「自分のことが好き」だと思っていて、かつ、快活に生きている人であれば、そういうことを習慣にしている可能性の高いことが多い。


外からの情報も大事。
しかし内から吐き出される思いも、同等に必要なのだ。
未来の自分は、過去・現在の自分と強くリンクしているものだから。

『抱きたいカンケイ』

↑CD

ナタリー・ポートマン主演で、なんと彼女が製作総指揮まで務めている話題の作品。
タイトルからなんとなくニュワンスは伝わってくるけれど、これはセフレから始まる恋愛ストーリー。


表向きに・一般的には、逆のパターンが多いだろう。
付き合ってからセックスする、というふうに。
ところがこれは違う。
付き合うことなしにセックスするパターンなのだ。


ナタリー演じるエマは多忙な医師。
恋愛をする余裕がなく、そして傷つきたくないというきもちを持っている。
そんなエマと、長年の男友だちであるアダム(アシュトン・カッチャー)は、ちょっとした成り行きでセフレになる。


・相手を緊急連絡先にしない
・朝ごはんは一緒に食べない
・昼間のデートはなし
・お互いのことを好きになってしまったら、セフレの関係は終わり


二人はこのようなルールを作り、関係を続けていく。
ところがいつも恋は予想外で、「ふつうのカップル」のように付き合いたい、という願望がどちらともなく生まれ始めるのだったーー。


エマがアダムにすこし好意を持ち始めたことを悟り、「誰でもいいから他の女と寝てきて」と強がって言うあたりがツラい。
すべては本気に好きになって別れるときの恐怖だったり、悲しみだったり、そのあたりから来る感情の流れなのだ。


「都合のイイ関係」というのは楽。
長時間一緒にいなくてもいいし、会いたいときに来てくれる男、セックスしたいときにできる男、それがアダムだった。
でも、そんな距離で、心地よい関係は続かない。
波風の立たないわけがなかった。


離れて以来、修復はむつかしい状況だった二人。
タイミングという問題が、常に人生において、恋愛において、あるから。
「機会損失」が最ももったいないこと。
好きな人には素直にさっさと「好き」と言う方が賢い、というのを改めて感じた映画でした。

『放課後はミステリーとともに』

本書は東川篤哉氏の「鯉ヶ窪学園探偵部シリーズ」。
舞台は国分寺市恋ケ窪にある高校。
知っている人は多いと思うけれど、恋ケ窪は実在する地名で、高校は架空の学校となっている。


主人公は霧ヶ峰涼という女の子である!
字面的に、そして「僕」という一人称のため、読者は彼女のことを男の子だと思って読み進めること間違いない。


霧ヶ峰涼は「探偵部」に所属し、やや探偵的な活動をしている。
というふうに、一風変わった女の子である。
彼女はいろいろとよく問題に巻き込まれる。
というか、目の前で事件がよく起こってしまう。


「すっとぼけた感」あふれるユーモアが交えて語られるストーリーは、ボケとツッコミの要素を感じさせてくれる。
学園内で起こる事件は、自分の学生時代を思い起こさせてくれる懐かしさがあって楽しい。


一話完結のストーリーが複数入っていてわりとさくさく読めるので、東川作品の入門編に良いかも知れない。

『キラー・インサイド・ミー』

【送料無料】おれの中の殺し屋

【送料無料】おれの中の殺し屋
価格:840円(税込、送料別)

↑原作本

約30年間、周りから見て「良い人間」として、まっとうに生きてきたように思われた男・ルー。
そんな彼がある日、美しい娼婦・ジョイスと偶然出会う。
彼女との出会いをきっかけに、ルーの奥底にあった「殺人鬼」の部分が破裂したかのように突然出てきてしまう。


ジョイスと愛し合っていたはずなのに、彼は彼女を半殺しの目に遭わせる。
しかし予想外なことに、彼女は一命を取り留めたーー。
そこから彼の目論みは崩れ始める。
そして意外なラストを迎える。


残酷なシーンが多々出てくる。
女性の顔を拳で殴り、血が飛び散る。
肉を打つ音がする。
そんなエグい映像満載の作品。


恐ろしいことに、話の内容はそんな感じではあるが、映像はぼやかしがかかっているかのように、やさしいものとなっている。
音楽が気分をそぐ、というか、拍子抜けさせる。
何ともいえず、後味も不思議な作品。

『八日目の蝉』

角田光代『八日目の蝉』

角田光代『八日目の蝉』
価格:620円(税込、送料別)

↑本

中島美嘉/Dear

中島美嘉/Dear
価格:1,200円(税込、送料別)

↑CD

角田光代著『八日目の蝉』が原作。
以前ドラマ化もされていて、ついに映画化された。
角田さんファンなので早速観に行ってきた。


約20年前に世を騒がせた、1つの誘拐事件があった。
犯人は被害者夫婦の夫の浮気相手。
4年間、誘拐した子どもと逃避行を重ねる。
子どもにとって、彼女が母親だという認識は長年消えることなく、そのせいで本当の家族は精神的に崩壊したーー。


それから20年、“当時の子ども”だった恵理菜は閉鎖的な心を持ったまま、21歳となる。
ある日彼女に「転機」が訪れる。
事件について取材させてくれ、と近づいてきたルポライター・千草と、過去を遡る旅に出たのだった。


誘拐犯・希和子と辿った道のりは、東京から大阪、香川までに到った。
それぞれの土地で、恵理菜の頭へあのときの記憶が蘇り始める。
少し前に、不倫相手・岸田の子どもを妊娠したことが分かった彼女は、未婚の母のまま出産することを決める。
希和子からの愛情が相当のものだったことを知り、自身も子どもに「すべてのキレイなものを見せてあげたい」、「何でもあげたい」と願うのだった。


物語は、20年前のもの・現在のものとの2つが交互に繰り返される。
タイトルにある「蝉」が強引に作品中に出てくるのが、すこし違和感ありだったけれど、没頭させる映画だった。


蝉は7日しか生きられない。
ではもし、8日目も生きる蝉がいたら・・・?
その蝉は違った世界を見られるのか。


原作ももう1度読み返してみたい。